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589 名前:名無し[] 投稿日:23/02/01(水) 23:48:32 ID:vn.em.L1
昔、たった1年で家族が崩壊した
あの時の事を思いだすとまだ頭にモヤがかかったようになるのでところどころうろ覚えなところもあります
きっかけは兄のお祝いパーティだった
兄が高校の空手部で緑帯になったので自宅でささやかなお祝いを開いた
常日頃兄を贔屓し兄に過剰な期待をしている父はそれはもう上機嫌で、さすが俺の息子だ長男だと言って何杯もビール飲んでた
お祝いが進んで1時間ぐらいした頃かな、父がふと言い出した
そもそもお前〜なんで空手なんか始めたんだ?お前ならてっきり中学では美術部に入ると思ったのに〜なあ母さん、みたいな事を
母も、そういえばそうね、兄男くんあんなに絵描くの好きだったのに?とキョトン
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この時の兄の形相は忘れられない。兄は一時フリーズ→父の顔面に空手パンチ
ぶたっ、ていう変な悲鳴で転げた父に兄がマウントとった。豚がブタって言うんだ、と変な感想思ったのは覚えてる
兄は地獄みたいな声で「ふざけんなふざけんなもう限界だ」と叫びながら父をボコボコにし続けた。母はオロオロ
父は親にむかって、とかわめいてたけど兄には全く歯が立たなかった
酔っ払ってたのもあるけど父は普段運動も何もしないビール腹のデブだった
兄が私に,お前もやれ!って言うので私も積年の恨みつらみを込めて父の腹や顔をビール瓶で殴った。兄が抑えてくれたから私程度の力でも大の男にやり返せた.兄は私に「支度しろ」と言うので最低限のものだけ持ってそのまま二人で電車で他県の母方親族の所に逃げた
伯母の家に逃げて何日かして母から連絡が来た.お父さんが怒ってるのお願い早く帰ってきてだって
なので伯父さんと兄、伯母さん夫や伯父さんの部下とかガタイのいい親戚の男性陣で母を引き取りに自宅に戻った
父は包帯だらけだったけどぎゃーぎゃーわめいてたんだって。もっと殴っとけばよかったと思った.兄がまた父を殴って手紙を渡した
手紙の内容は私と兄で作った「認知症テスト」
@兄が中学時代、念願の美術部ではなく意に反して空手部に入部した理由を書きなさい
A我々兄妹を小学生時代、毎日暴力をふるい物品や金品を巻き上げていた児童の名前を三人書きなさい
など、全部家族に「普通に」関わっていればわかる問題ばかり10問ほど書いた
全問正解したら兄も私も母も家に帰る、でも1問でも間違ったら家族失格それか認知症と見なし施設にぶちこむと書いといた
母の携帯電話だけは父のガス抜きとして生かしていたら父方の伯母さん達(父の姉妹)の伝言ばっかり入ってた.家族が離ればなれになるのはいけないだのせめて私子ちゃんだけでも家事しに帰ってきてとかそんな話ばっかり.
兄と母方伯父さん(母兄)が「とにかくテストを提出しろ。話はそれからだ。言いたい事があるなら親父本人に電話させろ」でぶった切ってた
私と兄はこっちの県に転校することになった.詳しい手続きは伯父さん達がしてくれたのでよく覚えてない
私も兄も、怒鳴られたり蹴られたり何時間も正座で叱られたりすることのない生活って初めてだったからしばらく地面がふわふわした感じが続いた
私はなんか急に腸が弱くなって下痢ばかりするようになった
兄はやっとこっちで美術部に入る事が出来た.私は、自由に部活を選ぶと言う事がよくわからなくていとこと同じ合唱部に入った
認知症テストの答えは
@父が「美術部なんて軟弱な部は男にふさわしくない!」と何時間も正座説教、叱責と暴力で無理やり空手部に入らされたから
A父が「元気で見どころのありそうな少年たちで感心だ、息子の友達にふさわしい」と「スカウト」したDQN悪ガキ軍団
母にも同じテストを受けさせたけど10問中2問ぐらいしか解けなかった.DQN軍団は母の財布にまで手をつけていたのでかろうじて名前は覚えていたらしいけどそれ以外はほぼ全滅.母は「本当にわからない、本当に覚
えてないの」「あの人と結婚してからのことを思い出そうとすると頭にモヤがかかったようになる」とオロオロしていた
兄は、なんでだよ、中学の美術部の入部希望届、おふくろも一緒に書いてくれたじゃないか〜と男泣きに泣いていた.これを聞いた母方伯母がすぐ母にカウンセリングを手配してくれた.伯母と伯父は
「もっと早く動いてればよかった、あんなに小動物や小さい子に優しかった妹(母)が目の前で子供がいじめられてるのに覚えてすらないなんて」と泣いていた
590 名前:名無し[] 投稿日:23/02/01(水) 23:50:11 ID:vn.em.L1
3ヶ月ぐらいしてやっと父からテストの回答が来た
封筒を開けたら煙草とバキュームカーとドブ川を足してもっとひどくしたような悪臭がぷわーんとした
全問見当違いのハズレばっかり
この時の私は大人の字=みんな正しい綺麗な字だと思ってたけど、伯父さんが「きったない字だなぁ」と言うので、ああ父の字は汚いんだとやっとわかった
兄が採点して大きく0点と書いて、さらに追試を送った
追試にはカウンセリングと伯母さん家での平穏な生活のおかげか、少し目が覚めかけてた母の出題も入れた
問題は「母は兄が乳児の頃、兄ともども栄養失調で入院した。その理由は何か」
正解は「父が実家の事業を潰して逃走したため事業の負債を母が自腹で補填するはめになりさらに父が生活費を全く送らなかったせいで母は無一文だったから」
やっと母が父の居場所を探し当てて夫婦で暮らす事になったのは兄が2歳になってかららしい
この話は私達兄妹も初耳でもう絶句するしかなかった…
父はあれだけ、男とはこうあるべきだの思いやりの心をだの家族とはなんだのかんだのと何度も何度も暴力込で私達に説教していたくせに…
伯母が「私達の故郷は男尊女卑な地域性だったしあのときはそういう時代だった。でも、もっと早く動けば良かった」と泣いていた
肝心の父はというと、この事を忘れていた
負債の返済、毎日のように送られる督促状や内容証明の対応などの尻拭いをぜーんぶ母に任せて2年間逃げ回っていた事も全部きれいさっぱり忘れてた
父に、父宛ての督促状や内容証明、事業を潰した時の書類とかを見せてもキョトンとしてたらしい
母と父の離婚でお世話になった弁護士さんが
「あれはとぼけてるとかじゃなくて本当に忘れてますね…身重の奥さんにここまでなにもかもおんぶにだっこで尻拭いしてもらって全部忘れるとか…こんなこと本当にあるんですねぇ…」と汗をふきふき言ってた
弁護士さんは父と同じぐらいのおじさんなのに何でこの人は父とこうも違うんだろうと思った
流石の母も「ふざけるなー!!」って父をひっぱたいたらしい
そういえば母はふだんは父に虐げられていつもオドオドメソメソオロオロしていたが
ごくごくたまにキレる時があってそんな時は父の方がタジタジだった
母は「あれはサービス問題のつもりで入れた、あの人が歩み寄るきっかけになると思って、でもまさかかけらも覚えてないなんて!」と泣いていた
ここまで家族の事を知らない人間と家族やっていけないという事で離婚が成立した
母のカウンセリングの診断書や私達兄妹の証言などもあってスムーズに済んだらしい
父は最後まで抵抗していたけど、兄と伯父さんがだったらあのテスト1問でも正解してみろ!と一喝してた
兄も私も自立して今はそれぞれ別で暮らしてる
父は現状は知らないけど父方親戚から時々、帰ってあげなさいとか宗教の本とか送って来たりするけどガン無視してる
あの時お祝いパーティしなかったら、兄が空手を途中でやめていたら、こうはならなかったのかもと思う
1年で家族が崩壊したというより、1年で家族の洗脳が解けたという感じだな
見合いだったのかな
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