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2022年05月30日

何を書いても121-701 お母さんの役に立てるようお手伝いをしようねと言って

何を書いても構いませんので@生活板121
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1650019674/


701 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/05/29(日) 22:11:55 ID:rq.8o.L1
遠い記憶だけれど、私が小さい頃母が入院していたことがある。
それも1日や2日ではなく、数週間単位で長期の入院だったと思う。
母がいなくて寂しがる私に、父はお母さんは今大変だからしっかりしようね、我慢しようねと言い聞かせてきた。
そしてお母さんの役に立てるようお手伝いをしようねと言って、私を台所に立たせた。
当時小学三年生か四年生だったので包丁くらいはなんとか扱えたものの、家で料理なんてやったことがなくて戸惑ったのを覚えている。
どこになにがあるのかもわからないし、父もガスコンロの使い方くらいしか教えてくれず、でも母の役に立ちたい一心でおぼつかない手つきで料理をした。
といっても、目玉焼き、焼いたハム、トーストくらいしか作れなかったけども。あとはトマトを添えるくらい。




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父は大層喜んで、最初は誰でもこんなものだ、そのうち上達すると誉めてくれた。
お味噌汁を作った時は、味噌を溶かすだけじゃなくて出汁を取るといいよと言われた。でも、出汁の取り方がわからないし教えてももらえなかったので、ずっと味噌をお湯に溶かしただけのお味噌汁だった。
当然料理するには材料が必要なので、母のママチャリを無理矢理立ち漕ぎして買い物に行った。父はお金は出してくれた。
私が料理の真似事にある程度慣れた頃、母が退院して家に帰ってきた。
寂しい思いをさせてごめんねと謝られたけど、母が家にいることが嬉しくて、それから褒めてほしくてここ数週間の奮闘ぶりを嬉々として話した。
そうしたら、たちまち母の顔は強張って、私は部屋に戻された。
部屋の外では大人たちが大声で怒鳴り合っていて、怖くてベッドから出れなかった。
次の日になると何事もなかったように両親はニコニコしており、それからは少なくとも私の前で不仲な姿を見せることはなかった。
でも、私が独り立ちした途端母が離婚して出て行ったので、やっぱりあの時両親の間には決定的な亀裂が入ってしまったんだと思う。
子供だった時はわからなかったけれど、結婚した今なら父の非常識さが理解できる。
私だったら子供に家事を丸投げしたりしない。お母さんの役に立てるとか言って家事をするように仕向けたりしない。
そんなのは全部親の仕事だ。母がいないのなら父の役目だ。
もちろん子供が大人になる時困らないようある程度教えるのは必要だと思う。でも、あくまでお手伝いの範囲を逸脱してはならない。
それをきちんと自分の子供に行えるのか不安だけれど、頑張る。


posted by 管理人 at 02:19 | Comment(3) | 何を書いても | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
似たような経験した事あるのをぶわーっと思い出したわ。
まあウチは元々父は家事なんてしない人だったから、自分一人で必死で火事してただけで母が退院して来ても何も変わらなかったんだけどなw
Posted by at 2022年05月30日 06:46
怒鳴り合う、になるバカじゃそりゃもう捨てる決意したろうね
母が一方的に怒鳴って父が神妙にしてる、ならまだ救いようがありそうだが
Posted by at 2022年05月30日 09:27
男女問わず、家事は女の仕事、男子厨房に入らずっていう家督制度脳の団塊、団塊jr世代が一定数はいるから。
Posted by at 2022年05月30日 09:40

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