スポンサーリンク


2022年01月31日

友やめ5-310 私に暇で仕方ないから暇つぶしに何かないかと聞いてきていた

友達をやめる時 inOpen 5
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1615977229/


310 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:22/01/27(木)22:34:21 ID:GGUD
友達が妊娠してから仕事を辞めた。
正社員期間は多分2年満たないくらい。
子供が小3になる頃からか、暇になったらしく、私に暇で仕方ないから暇つぶしに何かないかと聞いてきていた。
最初は真剣に話を聞いてたけど、私が働いてる時間も容赦なくライン送ってくるようになり、耐えかねて「そろそろ働いてみたら?」と伝えた。
だけど小3はまだ早く帰ってくることもあるし、学童がない地域だからと言って働くことはなかった。




スポンサーリンク



そうしていると冬、コロナが流行りだし学校の授業がなくなった。
暇じゃなくなったのか、連絡がこなくなりホッとしていたら、今度は旦那と子供が家にいてお世話しなきゃならないと愚痴がきた。
いや、暇で暇で死ぬほど苦痛って言ってたじゃん。
私には生きがいとなるものがないとか誰にも必要とされてないとか何処にも居場所がないとかメンヘラみたいなこと言ってたじゃん・・・。
グッとこらえて、外からコロナ貰ってきてクラスターになるよりマシだよと伝えて諭して宥めた。
同時にその頃、私はコロナではなかったものの体調を崩して入院することになり、結果難病が見つかった。
コロナのせいで面会謝絶のため誰にも会えず、病気の苦しみと孤独と息が詰まるような先の見えない閉塞感に苦しんでいた。
友達にそれを伝えてあなたの愚痴に付き合うのがしんどいと遠回しに伝えたら、返ってきた言葉が
「専業主婦の私の苦しみがわかった?人間って体験しないと苦しみは理解できないから仕方ないけど(笑)」だった。
あ、こんなの相手にしてたら治る病気もなおらない。
そう思って、性格悪いとわかりながらも、過去の友達の愚痴の数々と今回のやり取りを
コロナのおかげでできた同窓会ライングループで暴露して、「私は病気でそれどころじゃないから、誰か友達の愚痴きいてあげて」と流した。
その後薬の副作用とかで本当にしんどくてネットから離れてずっと寝てたんだけど、急に私が音信不通になったから死んだんじゃないか説が流れて、
同級生が友達に「私子どうしたの?」と質問するも友達は全く答えられず、
それに対して同級生が友達を「人でなし」扱いしたことで、友達が総スカンを喰らうことになった。
退院する頃にラインにお騒がせしましたと謝罪をしたときに総スカンを知り、全く予想外の流れだったけど、ぶっちゃけざまあみろとは思った。

コロナが落ち着いて自粛ムードがなくなりつつある頃、元友達から入院してた頃に私にとった態度について謝罪の言葉がおくられてきた。
自分が孤独を感じて辛くて寂しいときに社会で輝く私の姿が辛かった。自分がどれだけ寂しいと訴えてもその気持ちを私は理解してくれなかった。
だから入院したと聞いたとき、これで気持ちを理解してもらえると思って舞い上がってしまった。それであんな事を言ってしまった。
とのことだった。
ふーん( ´_ゝ`)
それで、なんのために謝罪をしてきたかといえば、やはり暇だから、らしい。
時間が有り余ると孤独だから相手してほしいと。
もうどうでも良くて、「働けば?」とだけ返したら、
「うちは裕福で夫の稼ぎだけで生活できるの。
働くなくても生活できる私みたいな人が働いたら、働かなきゃ生活できない人の仕事を一つ奪うことになっちゃう」
と返してきたので、
「そうだね、あなたみたいな人が社会に出たら働かなきゃ生活できない私みたいな人間の邪魔にしかならなさそうだから、
お願いだから、働かなきゃ生活できない私達みたいな人間のために一生専業として引きこもっといて?」
と返して、あらゆる連絡方法をブロックした。
同級生から、現在元友達がメンヘラ化してリスカしてるから近づかないほうがいいよとアドバイスがあった。
私は元友達の中でたった一人の友達兼親友だったらしく、そのたった一人の友達兼親友に捨てられた悲劇のヒロインやってるらしい。
お子さん可哀想だな。


posted by 管理人 at 02:20 | Comment(2) | 友やめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
見下して言葉で蹴る役に逃げられたから、自分を蹴るしかなくなっちゃったのか。
哀れだねw
Posted by at 2022年01月31日 06:57
自分の事ばかりで自分に甘く他人に厳しい他人を気遣えない自己中心な人とは関わらないのが精神衛生上良い。

私も昔事故で、脳挫傷、肺挫傷、骨折等で二週間ICUで生死の境を彷徨った事があるけど
その後の怒涛のリハビリと夫や義理家の支えで少しの後遺症程度で通院継続ながら社会復帰寸前の時に実の妹から
”でも、治ったんでしょ”
って言われたときは軽く殺意覚えたわ。
小姑でさえ
”大変だったね、よくがんばったね。これだけの大けがだからね、通院終わっても将来どんなことで後遺症がでるかもしれないから気を付けてね”
っていってくれたのに。
それまでは週3ペースで妹の愚痴は2時間でも3時間でも聞いてあげてたけれど、距離を置くきっかけになった。
Posted by at 2022年02月01日 09:05

スポンサーリンク


コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: (※URLは記入できません)