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2021年07月19日

神経67-103 私が小学校5年の時、母親がうつ病になった

その神経がわからん!その67
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1625873823/


103 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:21/07/18(日)13:02:45 ID:1S.md.L1
私が小学校5年の時、母親がうつ病になった。原因は病弱だった私の看病疲れ。元気になったのでポッキリ心が折れてしまったらしい。
で、風呂場で手首切ったり、腹切ろうとしたり、薬大量に飲んだりと大変だった。
普段も料理や家事ができなくなって、一日中暗い部屋の中で膝を抱えていた。
久々に作った焼きそばを自分の分、うっかり床にぶちまけてしまった母が、埃だらけの焼きそばを泣きながらかき集めて「私のは食べられるから!」って言ってたのが本当に辛かった。
そんな母を見ていたら、なかなか学校には通えなくなっていた。中学から薬の副作用で夜9時になると奇声を上げて家を飛び出すから、そんな母を日中一人で放っておくことが怖く、ほぼ不登校。





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父は母のことが大好きで、いつも病院に付き添ったり、薬を飲みすぎないよう管理したり、弁当を買って帰ってきてくれたけど、母を入院させなかった。
「自分が面倒を見る」と入院を勧める主治医に言ってたけど、結局、日中は仕事なんだから私が見るほかない。放っておくと食事も水分も摂らず、空調もつけず、刃物を探し始めたりするのだから。寝込んでいる母は当然、父も「学校に行け」とは言わなかった。
母はその後、少しは安定したけど、今度は精神的に不安定になって激情することが増え、父に対して「あれやこれが我慢できん!」「離婚しないとご先祖さまに祟られる」と離婚。
娘であり友達であり恋人であり母親、を私に求め始め、執着するようになった。私も死なれると怖いし、発狂して物投げられても嫌だから笑顔で従っていた。というか、それしかなかった。
その後は離婚再婚引っ越しが繰り返され、経済的にも家庭環境的にも私は高校に行かず、私は私の子供時代を知っている人と年の差婚した。

最近、ヤングケアラーという言葉を知った。
私もあの当時、周りの大人に助けてほしいと思って声をかけても「辛いね。でもあなたはしっかりしてるからお母さんも安心だね」と言われるばかり。母に「母親なんだからしっかりしなきゃ」と言ってくれる人もいたけど、病気の母にはまともな判断能力はない。
不思議なことに夫以外、ほとんどの人が「お母さんと仲のいい娘」として私たちを認識していた。年頃の娘が四六時中母親のそばをついて回ることを「なんか訳あり」とは思わなかったようだ。
行政も「病気の母親から親権を父親に移すしかできない」といった感じで、私が一緒に暮らさなくなった後の母のケアは当然ながら難しい。親戚も母とは疎遠を貫いていて「私だけが母を守るしかない」と思っていた。
あの頃、ヤングケアラーに対する理解があったら、というよりも、父がもし母を入院させていたら、私も学業に戻り、母も今より病状が安定していたのかもと思う。今ほどひどくはなかっただろう。
父の神経が、いまだによくわからない。


posted by 管理人 at 00:15 | Comment(3) | 神経 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
結局、父親は外聞を気にしたんやろなあ。
ゴミクズだわ。
Posted by at 2021年07月19日 06:37
嫁を使って親孝行
妹を使って嫁孝行
娘を使って嫁孝行

結婚後の親との関係性が薄くなった分、こういう話が増えるのかな。
ホームに入りたい母親を無理矢理家にとどめて嫁に介護させるってのと根は同じ感じがする。
Posted by at 2021年07月19日 07:28
父親がわがまま言わなけりゃ、母親の予後も違ったろうになあ…
Posted by at 2021年07月19日 12:50

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