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2019年12月12日

何を書いても82-344 私の母はまったく親離れできない人だった

何を書いても構いませんので@生活板82
https://kohada.open2ch.net/test/read.cgi/kankon/1575084538/


344 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:19/12/11(水)01:14:55 ID:6J.53.L1
私の母はまったく親離れできない人だった。
父とうまく行かなくなった時、実家に逃げ帰った。
そのまま母方祖父母の家の離れで暮らした(父はそんな
母を追いかけて一緒に暮らしてた)
祖父母の家は叔父が継ぐことになって、やんわりと
時にはうるさく出て行けと言われていた。
家賃も払わず居座っていたからね。
何度か引っ越す話も出たが母がすべて潰した。




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そして祖母が寝たきりになった。
母は隣だった事もあって毎日看病してた。
祖母が寝たきり(転んで骨折してから)になって5年くらい
過ぎた。その一年前くらいから祖母は殆ど食事を摂らなくなった。

既に結婚して家を出ていた私はある日、祖母が危篤との知らせを
受けて実家というかその隣の祖父母の家に行った。
幸い、祖母はまだ息があったがふくよかだった祖母は見る影も
ないくらいやせ細っていた。
臨終を看取った人なら判ると思うけど、祖母の息遣いはすでに
亡くなりかけてるそれだった。
そして荒い息がしばらく続いた後、祖母は亡くなった。
祖父、叔父夫婦、私など10人近くが祖母のベッドの周りにいた。
亡くなった時も祖母は90近かったので大往生と言えた。
ただ、母だけは祖母の死に向き合えなかった。
骨と皮だけになった祖母の体の上にのって人工呼吸を始めた。
お母さん、死なないで、逝っちゃいや!とがむしゃらに
祖母の胸を押し始めた。みんなで止めた。
そんなに押したらおばあちゃんの骨、粉々になるから、って。
祖母はとうに覚悟を決めていたと私達みんな思っていたので
母の取り乱しように驚くと共に、私個人は改めて母と言う人は
最期まで親離れできていなかった人なんだなと少し冷めた目で
見ていたと思う。
実の親の祖父母の側に居たいと言う母の我儘で私達家族は
どれだけ親戚からも邪魔者扱いされていた事か。
そうした事を全く考えず、夫や子供より最後まで親を優先した
母。その母もとうに鬼籍に入っているけど、その後も色々と
迷惑蒙ったので私は母を反面教師にして今日まで生きてきた。


posted by 管理人 at 00:38 | Comment(1) | 何を書いても | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そんな母親を切れなかった父親も大概かな
Posted by at 2019年12月12日 08:34

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